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2019-07-07 12:54:15
マイセン ブルーオニオン
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マイセンの歴史(1)
17世紀のヨーロッパでは中国の磁器や日本の伊万里などが盛んにもてはやされていました。純白で薄く、硬く艶やかな硬質磁器はヨーロッパでは未だに作りだすことのできないものであり、列国の王侯貴族、事業家たちはやっきになって製法を見つけようとしていました。なかでもドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王は東洋磁器の屈指の蒐集家でした。強王は蒐集した磁器で城館を飾っただけでなく、錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを監禁して磁器製造の秘法を研究させました。ベトガーは1708年にようやく磁器に近いものを作り上げ、1709年には白磁製法を解明しました。待ちに待った1710年に、ついにヨーロッパ初の硬質磁器窯「マイセン」が誕生しました。1717年には染付磁器の焼成にも成功しました。現在、マイセン窯の作品はヨーロッパを席巻し、最も優れた窯といわれています。作品の底に記されているサインも有名です。1723年から贋作防止のため、交差した2本の剣のトレードマークがデザインされていますが、時代によって様々に変化しており、現在のマークは1934年以来のものです。

 

マイセンの歴史(2)
マイセンには大きく分けて「オールドマイセン」と「現代マイセン」と呼ばれる作品が存在します。オールドマイセンの定義は1924年以前に制作された作品をさします。人によって認識は異なりますが戦前に作られた作品を言うことが多いようです。人物や動物を題材にしたフィギアや鑑賞用のプレートなどがオールドマイセンの特徴です。現代マイセンの定義は、明文化されている訳ではありませんが、1960年に「芸術の発展をめざすグループ」の設立が大きなターニングポイントとなります。その中で代表的な作家は、ハインツ・ヴェルナーです。現代マイセン5人組のひとりで、最も人気のある絵付師です。鳥獣の絵付けを得意として、幻想的でメルヘンチックな表現様式で有名です。「アラビアンナイト」や「真夏の夜の夢」などのシリーズが高い人気を誇っています。絵付師がデザインしている作品以外にも伝統的な模様を世襲した作品も日々生み出されています。評価に関しては、人気作品以外はオールドマイセンも現代マイセンも大きな違いはありません。オールドマイセンは歴史的な価値も考慮して評価する作品もありますが、コンディションやデザインの方が重要性です。

 

2019-07-07 12:53:25
マイセン ビンクローズ
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マイセンの歴史(3)
創始者であるアウグスト強王によってその歴史が始まって以来、今なお300年以上に渡り愛され続ける、ドイツが誇る老舗磁器ブランドのマイセン。その始まりから初期の頃、多大な功績を残し、その発展に大貢献した人物として有名なのが「3人のヨハン」と称されることも多い3人の天才たち


でした。
◆ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー
ドイツの錬金術師、錬金術で金を作ることが可能だと説いたため、これに期待を抱いたプロイセン王フリードリヒ1世の不興を買い、ベルリンを追われた。しかし、ザクセン選帝侯アウグスト2世(強王)は、若きベトガーの才能を見抜き彼を城へ招聘した。ベトガーの功績は、白磁の秘密を発見したことである。彼は当時試みた白い卵の殻のようなきめの細かい白い物質を混ぜたものを粘土に練りこむ製法を使わず、それまでヨーロッパの炉で焼かれていたよりもっと高い温度で粘土を焼いた。泥の成分を溶かし、新しい物質へと変化させたのである。この製法は以後100年間、当時のヨーロッパの他地域では見られない大発見となった。アウグスト2世は、ヨーロッパにおける陶磁器の利益を独占するために、ベトガーをマイセンのアルブレヒト城に幽閉して、国外に漏らすのを防いだ。そのため、ベトガーは酒に溺れて37歳で死去した。

 

◆ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト
ベトガーを失った後、マイセンは低迷期を迎えます。そんなマイセンにベトガーの死の翌年、彼と入れ替わるかのように登場したのが、伝説的な天才絵付け師として知られるヨハン・グレゴリウス・ヘロルトでした。アウグスト強王は、当時ヨーロッパで大流行していた東洋の磁器の中でも、とりわけ伊万里や柿右衛門といった日本の磁器がお気に入りでした。磁器の焼成が可能になっても、絵付けの技術が追いついていないため、憧れの磁器の写しを完成させたい強王の野望は行き詰まっていました。アウグスト強王は柿右衛門の写しを手掛けるという難題を弱冠24才のヘロルトに託します。彼は完成度の高い写しを仕上げるために欠かせない上質で色彩豊かな絵の具の開発から取り組み、見事な写しを完成させて強王を満足させたばかりか、彼によるマイセンの柿右衛門写しはヨーロッパ中で有名となります。ヘロルトは、当時流行していたシノワズリと呼ばれる中国趣味を作品にいち早く取り入れ、これを次第に彼ならではの作風として確立させていくと、"ヘロルト・シノワズリ"と呼ばれて人気を博しました。中でも、菊や牡丹といった花模様が特徴の「インドの花」は有名で、今でもマイセンの定番の一つとなっています。
一時、失速していたマイセンは、ヘロルトの活躍で圧倒的な技術力をヨーロッパ各地に見せつけたのです。

 

◆ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー
十代の頃から宮廷彫刻家に弟子入りして修行を重ね、宮廷彫刻師となった翌年の1731年、25才頃にマイセンへ招かれました。ヘロルトがマイセンに来た約10年後のことです。晩年のアウグスト強王が叶えたかった大計画とは、大好きな磁器で埋め尽くされたその名も"日本宮"を築き上げるという壮大ものでした。この大仕事に取り組むことになったケンドラーでしたが、立体的で力強く、躍動感のある磁器製の大型動物たちを短期間で次々と生み出していきました。しかし1733年、アウグスト強王が日本宮の完成を待たずに死去したことで急展開、これが実現することはありませんでした。アウグスト強王の時代には、彼の希望で主にバロック調の重厚で大きな作品を扱っていたケンドラーでしたが、そのような指示からある意味、自由になったことで、これまでとは違って小物も手がけられるようになり、彼の作風はロココ調の優美でより小さな作品へと方向転換して
いきました。「スノーボール」は代表的作品。

 

2019-07-07 12:52:50
マイセン 波の戯れ
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マイセンの歴史(4)
◆ハインツ・ヴェルナー
1943年にマイセン製作所に入ったヴェルナーは、早くから動物や鳥の絵付で頭角をあらわしすでに1953年には装飾家として認められました。1959年に「芸術の発展をめざすグループ」の設立メンバーとなり、全く新しい多くの作品や、陶板画など磁器芸術に新境地をひらきました。曰く「現代美術は抽象的なものが多いけれど、この世の中には複雑で難しい問題が多い。だから敢えてそういう難解なものや抽象的なものは描かないのです。磁器を見て、心が和み、生きる喜びを感じるようなそんな絵付けを心がけています」。「千夜一夜」「真夏の夜の夢」「狩り人シリーズ」「ブルーオーキッド」「アーモンドの樹」など、現代マイセンの代表作となったヴェルナーの作品は枚挙にいとまがありません。メルヘン、幻想、自然の光と影、夢、生命の満ちあふれた中で描いています。

 

マイセンの歴史(5)
◆スノーボール
手作業で作られる花や葉の磁器装飾である「貼花装飾」。「がまずみの花」が全面に貼りめぐらされた別名「スノーボール」と呼ばれるマイセンの貼花装飾を代表する技法が駆使された作品です。極めて希少性が高く、非常に高額な作品ゆえ、コレクターが多いマイセン芸術作品一つの究極です。特に19世紀の古マイセンスノーボールは「王侯貴族文化」の象徴である献上品が多く、マイセン磁器の威信にかけて制作された「特別な作品」です。この時代の作品は「コスト」と言う感覚が全くなく、マイセン磁器のプライドのみで制作されていると言っても過言ではありません。アウグスト強王の息子 アウグストⅢ世が最愛の王妃、マリア・ヨゼファに「枯れない花を贈りたい」という願いから製作され、王の命を受けたケンドラーが、自然の植物である「ガマズミの花」を手本に1739年に「スノーボール」という装飾を生み出しました。

2019-07-07 13:02:25
エルメス シェーヌダンクル
エルメス シェーヌダンクルs.jpg
2022-06-13 19:30:41
ティファニー
ティファニーs.jpg
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